武田がカズの並外れたバイタリティーを実感した瞬間
クルマ、洋服、時計――カズは身につける物すべてにこだわり、周囲から見られていることを常に意識していた。自ら望んでやっていることとはいえ、気の抜けない生活だ。楽ではないだろう。
「時には口に出すことと、頭で思っていることが食い違っていることはあったでしょう。でも、カズはカズでなければならない。それが何よりも勝るんです。ヴィッセル神戸のときにインタビューの仕事で会って、『いいときもあれば悪いときもある。俺だって心が折れそうになるときはあるよ』と話していましたけど、テレビカメラの前ではシャキッとして、みんなが知っているカズに戻っていました。その姿勢は引退まで、いや現役を辞めてからも変わらないんじゃないかな」
武田がカズの並外れた精神力とバイタリティーを心底実感したのは、2000年の途中、V川崎からパラグアイのスポルティボ・ルケーニョに移籍したときだ。33歳にして初の海外挑戦だった。
「パラグアイでの生活は想像以上に孤独で、苦しくて、寂しいんですよ。カズさんは自分よりずっと若い十代の頃、こんな環境の中でひたすらサッカーをやっていたのか。そのすごさが身に沁みてわかった」
01年、東京Vに復帰した武田は、カズの沖縄キャンプに初めて参加し、そのシーズンを最後に引退した。メディア側の人間となってからは、以前のような付き合い方をしてはいけないと意識し、一線を引いた関係となっている。
93年、FIFAワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選、カズが11番、ラモスが10番を付け、自分が9番を背負っていたことは武田の誇りだ。
やがて、カズにもスパイクを置く日がやって来る。44歳で現役を続けていることが驚異的なのだ。その日はいつ訪れてもおかしくない。
「引退を考えたら眠れないんじゃないかな。ゴン(中山雅史)がそんなことを話していましたね。頭にその二文字がチラつくと不安になるから、考えないようにしてコンデョションを整えるのに集中していると。きっとカズさんも同じですよ。年齢的に肉体の限界はとっくに超えているんです。日々、時間を大切に、身体のメンテナンスに細心の注意を払って過ごしていると思います」