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日本人がカンプ・ノウでプレーする日(前編)

text by 北健一郎 photo by Kazuhito Yamada

カンテラに入るために必要なプレー面以外の高いハードル

 その後、バルサのコーチからの「カンテラでもプレーできる実力」という強烈なプッシュもあって、建英君は2011年4月にカンテラの練習に参加するチャンスをつかんだ。バルサのカンテラに13歳未満の外国人選手が入団するケースはほとんどない。あのメッシでさえも、カンテラに入ったのは13歳のときだ(現在はこの原則が少し崩れつつある)。

「カンテラは練習参加するだけでもハードルが高いです。監督、コーチとかは全部カタルーニャ語でしゃべりますし、練習メニューもわからない中でやるのは、ちょっとやそっとのメンタルじゃできません。なおかつ、海外から行くと地元出身の子よりも、ワンランク、ツーランク上じゃないと認められないので、合格するのは非常に難しいです」

 しかし、建英君には「カンテラの壁」など関係なかった。最初はベンハミンA(2001年生まれの同学年のチーム)からスタートし、アレビンD(1つ上の学年の下位チーム)、アレビンC(1つ学年の上位チーム)へと上のチームでの練習に参加し、練習試合でゴールを挙げるなど、カンテラで通用する実力を示してみせた。

「バルサのコーチは『ファーストタッチを見ればわかる』というくらい目が肥えています。建英君が練習に参加して3日目には『スペインに来るつもりはあるのか?』と聞かれました。見極めるのは早いですね」

 全日程終了後、建英君は世界で最も有名なクラブの下部組織への入団を認められた。バルサに日本人選手が入団するのは、もちろん初めてのことだった。ただし、入団に際しては1つの条件があった。それが「家族も一緒にスペインに住む」というものだった。

「海外の選手がバルサのカンテラに入る場合は、12歳までは親も一緒に来なければいけないという決まりがあります。家族全員で来る場合もありますが、仕事もあるので基本は離ればなれで暮らすことになる。日本と海外で二重生活となれば、当然、お金もかかります。建英君の場合は、お父さんが日本に残って、お母さんと弟の3人がスペインに来ることになりました」

 建英君の例を見ればわかるように、若いうちに海外に行くにはあらゆる面で親の力が必要不可欠だ。小1の子供が「バルサに入りたい」と言っても、普通は「そんなの無理に決まってる」で終わりだろう。だが、建史さんは違った。バルサに入るための具体的なルートを見つけ、一つひとつの目標をクリアすることによって、マンガのような話を現実のものにしたのだ。

【後編に続く】

初出:フットボールサミット第9回


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