実際、平本のようなユース上がりの選手以外はそれほど背番号を気にしていないと思われる。下部組織で育った選手でも、最近の若い選手はどうだろう。
「10番といえばメッシ。11番はイブラヒモビッチ」
そんな回答が返ってきそうで、怖くて聞けない。
現在、東京Vの11番はブラジル人のマラニョンが背負う。スタンドから注がれる視線の中には、背中の11番の向こうに在りし日のカズを思い浮かべる人がきっといる。ふとした瞬間に、あれはカズが付けていたんだと。
そのへんのことをマラニョンには少しだけ知っておいてほしいと思うが、余計なお世話というものだろう。彼は大変真面目なブラジル人で、変なことを言って動きを固くされても困る。カズの決定力には遠く及ばず、その点ではふさわしい活躍をしているとは言えないが、懸命にプレーしており少なくとも11番を汚してはいない。
こんなふうに背番号について思いを巡らせること。
それもカズが残したもののひとつだ。
カズと2トップを組んだ武田修宏
93年、ヴェルディ川崎はJリーグ初代王者となった。
カズと2トップを組んだのは武田修宏である。そのシーズンはカズが36試合20得点、武田は36試合17得点をマークした。5月22日のサンフレッチェ広島戦、武田のJ初ゴールはカズのアシストによるものだ。カズの上げたクロスを、武田がヘディングで叩き込んだ。
「俺はタイミングよく裏に抜けて、スピードで勝負するタイプ。一方、カズさんは足元が上手く、ドリブルで仕掛けたり、引いてボールをもらうタイプ。持ち味が違って、バランスがよかったんです」
武田がカズと初めて会ったのは85年8月、SBS国際ユースサッカーの舞台だった。カズがブラジルのキンゼ・デ・ジャウーのメンバーとして来日し、武田は静岡県選抜のキャプテンを務めていた。静岡県選抜のメンバーには中山雅史、江尻篤彦、今年9月に急逝した真田雅則が名を連ねている。
「当時、すでにカズさんは知られた存在でした。静学を中退してブラジルに渡ったすごい選手がいるぞと。あのときは試合をしただけで特に会話をした記憶はありません。まだ身体の線が細かったけれど、技術のある選手だなという印象です」