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背番号11の重みを知る者と知らない者
東京ヴェルディにおいて、背番号11は特別重みのある番号だ。かつての主は10年以上も前にクラブを去った。だが、その威光は色あせることはない。 三浦知良、カズが付けていた番号である。
私は本当は知らない。その重みと価値を。01年、東京Vのクラブハウスに出入りするようになったとき、カズの姿はなく、すでに伝説の人物だった。
選手から、スタッフから数々の逸話を聞き、自分の中で11番を育ててきた。決して軽くは扱えないぞ、そんじょそこらの選手が付けてはいけない番号なのだと。だから、その重みをわかったつもりになってはいるけれど、本当の意味ではわかっていない。いわば、出来合いの産物である。
ほかにも、ラモス瑠偉の10番、北澤豪の8番、柱谷哲二の5番、これらは別格だという。02年、東京Vで引退した北澤の8番を除けば、どれも自分の中で実感が乏しい。「別格」にリアルな手触りがない。
背番号の歴史について、ある人はこう言った。
「そういうのって、今の選手たちは意識しているのでしょうか」
「重みがわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない」
ツンと答えてしまったが、そうとしか言いようがなかった。出来合いの産物とはいえ、自分が重んじるクラブの歴史を片手でひょいと扱われたような気がした。
東京Vの育成組織出身で、カズの背中を追いかけてきた平本一樹は言う。
「存在の大きさにおいて、両親の次という感じでした。僕だけではなく、あの頃のカズさんを見ていたユースやジュニアユースの選手たちはみんなそうじゃないですかね。カズさんはそれぐらい特別な人だった」
03年から05年までの3シーズン、平本は11番を背負った。だが、東京VのJ2降格に際し、元の25番に戻している。「チームをJ2に落として11番を付けたくなかったし、付けられなかった」