【前編はこちらから】 | 【サッカー批評issue57】掲載
強烈なインパクトを残したU-18日本代表戦
強烈なインパクトを残したのが、第3戦のU-18日本代表戦。ボランチで先発出場した香川は、中盤の底から何度もバイタルエリアにドリブルで仕掛け、DFラインにひずみを作り出して、決定機を作り出す。当時のDFラインは安田理大(現フィテッセ)、槙野智章(現浦和)、吉田麻也(現サウサンプトン)、内田篤人(現シャルケ)という現在の日本代表クラスのタレント揃いだったが、小柄で華奢なアタッカーに完全に翻弄された。試合は東北選抜が5-2という歴史的大勝。香川は3点に絡む大活躍で、大会のMIPに選ばれた。この活躍により、香川の存在は知る人ぞ知るものとなっていった。
そして9月の高円宮杯全日本ユース。この大会でも彼の能力の高さは実証された。初戦の大分ユース戦は後にチームメイトになる清武弘嗣に苦しめられ、1-3の敗戦。しかし、第2戦の浜名高校戦。プロ入りした選手もおり、強豪と言われていたチームとの一戦で、スタンドに視察に訪れていた小菊と、現在チーム統括部長を務める梶野智氏の2人に、ある決断をさせる活躍を見せた。
「この試合の真司は本当にキレキレだった。ノーミスで常にボールに絡むし、守備でもボールにくらいついて行く。あのときに『こいつは間違いないな』と思った」と小菊が振り返ったように、彼の活躍でチームは2-1の勝利。
「シンプルに彼が欲しくなった。真司はそれまで僕らが温めておいた存在だったのですが、この試合で名前がさらに全国に知れ渡って、もし1年後に欲しいとなっても、ほぼ全チームが獲得に動くのではないか。このままではやばいなと思うようになりました」
他チームが彼の獲得に動く前に何とかしなければならない。この危機感が小菊に芽生えた。そして、下した決断が高校卒業を待たずして、彼にプロ入りのオファーを出すことだった。
「まだ高2で早いんじゃないかという声も当然ありました。でも、一緒に見に行った梶野さんも『行こう』と言って、強烈に獲得を押してくれたので、クラブもそれを容認してくれました」
ちょうどその時、FC東京も本格的に獲得に動いており、さらに新潟や磐田など数チームが練習参加を要請している段階だった。高校2年生の段階でもはやJリーグ6~7チームの争奪戦が始まろうとしていた時期での獲得オファー。これに対し、日下は「もうクラブの中で彼の才能をもっと伸ばせる環境ではなかった。もちろん残ってもらえれば嬉しいが、彼が次のステージを目指しているのに、そこを止めてはいけない。行かせるべきだと思った」とこれを承諾した。
こうして高校卒業を待たずして、香川真司はC大阪でJリーガーとしてのキャリアをスタートさせた。