遠藤保仁のプレーの神髄は「判断」にある
名ボランチ、遠藤保仁のプレーの神髄は「判断」にある。速く、的確に考えることができる。ただし、サッカーにおける「考える」は考え込むのとは違っていて、ほとんど瞬時の反応に近い。熟練のドライバーが、物陰から歩行者が飛び出してくると予想してブレーキを踏んで減速するように、そのときバックミラーやサイドミラーで後方も確認しているように、遠藤はパスを出す。一度に、いくつものことを考えている。熟練のボランチにとっては当たり前のことだ。
要は情報収集能力であり、集めた情報を解析する演算速度なのだ。情報がインプットされれば、“遠藤”というコンピューターは瞬時に正解を叩き出せるようにできていると考えればいい。「判断」はほぼ自動的に行われ、本人にしてみれば「勝手に体が動いた」感覚に近い。また、そういうときほど良いプレーになっているはずなのだ。
遠藤というプレーヤーの最も優れているのは「判断」だが、本人にとって最も重要なのは「目視」だろう。情報さえ入れば答えは出るからだ。そして、彼のプレーを見る我々には「実行」の部分しかわからない。パスが上手い、そこしか見えない。
ただ、サッカーが車の運転と違っているのは、ボールは機械を操作するようにはいかないということだ。ハンドルを右に切れば、切ったぶんだけ車は右へ曲がる、思いどおりに動いてくれない車では危なくて仕方ない。ところが、ボールはそうそう思ったとおりには動いてくれない。だから、遠藤について語るとしても、まずはそこから始めなければならないだろう。止める・蹴る、そこが出発点になる。
ちゃんと止めて蹴る
ボールを止める、ボールを蹴る。サッカーのプレーは大半がこれだ。止める・蹴るが覚束なければサッカーにならない。ところが、プロの選手なら止める・蹴るの技術が完璧かというと実はそうでもない。
ただボールが止まるのと、“ちゃんと”止まるのでは、実践面で大きな差が生じる。ちゃんと止まるとは、すぐに次のプレーに移行できる場所にボールを置けているという意味だ。たとえば、止めてパスする。ちゃんと止まっていれば、すぐにパスを出せる。
ところが、ちゃんと止まっていないと、もう1回ボールに触らないとパスが出せなかったり、ステップを踏み変えられなかったりする。この余分な動作で、その状況でのベストなプレーがダメになる。通っているはずのパスが通らなくなり、それが得点につながる場面なら、1点とれるはずの機会を逸する。