――現役時代に常に絶対的なリーダーであり続けたマンチーニのカリスマ性、これがやはり今に活かされていると思われるのですが。
「かどうかは分からない。ピッチを俯瞰することはできても、なかなか自分を客観視することは出来ないからね(笑)。ただ、この僕が選手として多くの“キャプテン”たちと共にプレーしてきたことで、言ってみれば『強烈な個性が激しくぶつかり合う中で揉まれ、鍛えられてきた』と。
たとえば、それこそ現役を退いてから僕の助監督を務めたシニーザにしてもそう。あいつのリーダーシップは本当に強烈だったからね。試合前、ピッチに向かう通路で、あいつはこう言っていたんだ。『何も心配するな。絶対に失敗を恐れるな。ヘマをやらかしたって構わない。お前らの後ろには常に俺がいるってことを絶対に忘れるな』と。そして最後に必ず、『俺がお前たちを守ってやる』。
そうした強烈な個が集う中で、この僕もまた、それなりにリーダーとしての資質を持つようになったのかもしれないね」
イングランドに渡り、最初に受けた印象とは?
――あなたはラツィオ、フィオレンティーナ、インテルを経てイングランドへ渡りました。イタリアとは明らかに違うサッカー文化を持つ国へ。最初に受けた印象とは?
「『いつかはプレミアで……』。これが僕の夢だったんだよ。およそ15年前の話、ジェノバでの試合でね、あるプレーを巡って僕は主審ニッキと口論になったんだけど、そこで僕はこう言ったものだよ。『こんな国でもうサッカーはやれない。今直ぐにでも俺はイングランドへ行く』とね。もっとも、それから後に僕の監督としてのキャリアはイタリアで始まり、そこで重ねた勝利の結果として今があるんだが、やはり今にして思うのは、『夢が叶った……』という半ば安堵にも似た想いなんだよ(笑)。
インテルを去った後、決してアテがあったわけでもないのに僕はロンドンに渡り、英語を学びながら、あるいは届くかもしれないオファーを待っていたんだ。もちろん、当時も今も究極的な夢は、あの偉大なるサー・ファーガソンの後継者たること。ところがやはりそれは余りにも難しくて、でも実際に得たシティ監督というポストのお陰で僕は、あのサッカー史上最も偉大な監督と対戦できるという幸運に巡り会えた。そして昨季、2度の対戦に勝利し、遂には彼のユナイテッドを抑えてタイトルを手にした。それは、言うまでもなくこれ以上ない歓喜。優勝を決めた夜、まさに最高の美酒に酔ったものだよ」