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Jリーグ 12年前

日本の名GM鈴木満が語る『鹿島の流儀』

text by 宇都宮徹壱 photo by Kenzaburo Matsuoka

『ジーコイズム』の翻訳作業

 しかし02年の日韓ワールドカップ終了後、状況はにわかに変化する。ジーコが日本代表監督に就任したからだ。この時、鈴木は「ジーコイズムの継承者」としての立場を強く自覚する。

「02年にジーコがここを離れるにあたって、彼の言葉や考えを残さなければならないと思いました。ジーコの考え方を何となく『ジーコイズム』と言っているだけではダメだと。それを噛み砕いて『ジーコが言っていたのは、こういうことなんだよ』と、今度は僕が翻訳して、みんなに語り継いでいかなければならない。今は、ジーコを直接知らない選手も多いです。そんな彼らに、教育・指導する場面でも『ジーコはこう言っていた』という話をすることで、できるだけ(ジーコの哲学が)薄まらないように努力しています」

 いわゆる「ジーコイズム」とは、聖書やコーランのように明文化されたものではない。彼の哲学やマインドを、時に激しい感情をぶつけられながらも学び、血肉としてきた継承者によって翻訳され、語り継がれるものである。それはさながら、文字を持たない民族による神話や英雄伝の伝承に、感覚的に近いのかもしれない。

 鈴木の場合、決してポルトガル語に堪能というわけではなかった。それでも初めて出会ったときから、ジーコに対して積極的にコミュニケーションをとるように努め、どんなに叱責を受けながらもひるむことなく、プロフェッショナルとしてのあらゆるエッセンスを貪欲に吸収・咀そ嚼しゃくしようとした。そうした日々の積み重ねが、やがて「ジーコイズムの継承者」としての素地となっていったことは想像に難くない。

「ブラジル人は、日本人に合っていると思います。アルゼンチン人ほどプライドが高くもないし、サッカーでも最も結果を残しているし。僕自身、これだけ長くブラジル人に接しているので、今ではブラジル人の方がやりやすいですね(笑)。先輩・後輩が無いですし、ケンカしても後を引かない。セレーゾくらいから自信がついてきましたね」

 さて、ジーコからの自立について、最も象徴的なのは監督選びであった。06年のパウロ・アウトゥオリ以降はすべて、クラブ側が情報を集め、人選を進めて交渉し、契約に至っている。

「ジーコから『こういう人もいるんだけど』という情報をもらうこともありますが、それを断ってわれわれで選ぶことも多いんです。ですからジョルジーニョにオファーする時も、ジーコに相談してから行ったということもありません。その前のパウロもオズワルド(・オリヴェイラ)もそうです。ただ、決まった時にはジーコに報告します。ジーコは『あ、そう。わかった』という感じですね」

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