2002年のW杯日韓大会でトルシエジャパンの躍進に欠かせないキーパーツだった明神。加地は2006年のドイツ大会は負傷もあり不本意に終わったとはいえ、ジーコジャパンの不動の右SB。ポジションこそ異なれど、いずれもかつては、日本サッカー界の第一人者として不動の存在だった守りの達人だ。そんな2人は対戦相手としてJリーグで遠藤と対峙した経験も持つ。「嫌ですよ。嫌な選手でした」と顔をしかめてFC東京在籍当時を振り返るのは加地である。
自身の愛息は将来野球選手にしたい、と話すほどの野球好きな右SBは、やはり、高校時代の初対戦時から印象に残っているという遠藤のキックの凄みを時に野球に例えて称賛した。
「プレーが丁寧だし正確。基本に忠実じゃないですか。僕が凄いなって思うのは、(遠藤が)当たり前のことを当たり前のようにハイプレッシャーの中でやれること。実際にピッチ内で対戦した立場で言えば、長いキックも短いボールも、ヤットは蹴る時のモーションがほとんど変わらないので、僕ら守る側の相手からすれば読みづらい。野球で言うならば、カーブもチェンジアップもストレートも、手の振りが同じような感じなんです。
だから蹴り方だけでは、相手からは狙っているところが、分からないところがあります。ボールを蹴るギリギリの瞬間まで相手を見ながら、手前の選手に出すのか、その裏の選手を使うのかを相手のDFの動きとの駆け引きで見てから蹴るので、守る側はやりにくいんですよ。高校時代とかユース代表の時よりも、キックのバリエーションに関しては、ここ何年かで意識的に磨いているという感じがありますね」
明神「ヤットが調子がいい時は、体に触れられないレベル」
粘り強いマークと読みの良さでは定評ある明神は、意外にも「ヤットが調子がいい時はマークしていても体に触れられないぐらいのレベル」とあっさりとシャッポを脱ぐ。「敵だった時は、やっぱりやりにくい相手でした、ガツガツと潰しに行ければいいんだけど、行けば周りを使って簡単にボールをさばくし、行かないとヤット自身に自由にされてしまう。一番マークしにくいタイプの選手ですね」
今季からヴィッセル神戸に移籍した橋本英郎を含めて、遠藤と二川孝広、そして明神の4人は「黄金の中盤」とさえ称され、ガンバ大阪の黄金期を支えてきた。
敵ではなくダブルボランチとして遠藤とともにピッチに立つようになったからこそ、明神は「常にゲームの流れを考えているというか、一手、二手先はもちろんだけど、三手先ぐらいまでプレーの先を読んで、どうしたら相手が崩れるかを考えながら、プレーできているのがヤット。
一緒にプレーするようになって、さらに技術や精度の高さにも驚いているし、相手にプレッシャーをかけられている中でその基本技術を出せるのも特長でしょうね。日ごろ特別にプレーの話をするわけじゃないですけど、常にチームをどう動かすとか、どうゲームを組み立てるとかのアイデアの豊富さは一緒にプレーしていると分かります」と分析する。