内田は顔だけじゃない
それが幸いしたわけではないだろうが、鹿島のレベルを肌身で感じた内田は、鹿島に加入することを決める。
そして、1年目からアウトゥオーリ監督に見出され、開幕スタメンを勝ち取るのだった。
「見てる方はドキドキだったよ」
開幕戦を両親と同じような気持ちで見守った椎本。
失敗するんじゃないか、守備の弱点を突かれるんじゃないか、心配ばかりが頭をよぎった。
しかし、内田は先制点に繋がるPKを獲得するなど、監督の抜擢に応える活躍を見せるのだった。
「外国人の監督にとって、高卒とか、年齢とか関係ない。自分が良いと思えば使う。それが良かったのかもしれない」
とはいえ、たまたま運が良かっただけではない。
「抜擢されて、そこでちゃんと仕事をするから、自分のポジションを掴み取れる。そこがすごい。ドイツに行っても言葉がわからなかったり大変だと思う。でも、試合に出られなくなったことがあっても、そこからポジションを奪い返してる。たくましくなったよね。大したもんだな、と思う」
椎本の目から見ても、内田は高校時代から能力がずば抜けた選手ではなかった。
足の速さは目に付いたが、試合に絡んで来るのは2、3年後と予想していたくらいだ。
しかし、実際には、それを軽々と飛び越えて成長していく姿があった。
だからこそ、日本に帰る度に内田が鹿島に立ち寄ってくれることを、椎本は嬉しく思っている。
その姿は、必ず若い選手にとって良い手本となるからだ。
「顔はいまどきのイケメンかもしれないけど、芯が強いな、と思う。篤人はいつも先を考えてた。
『いまはこれ位だから、ここまで到達するにはどれ位やらなければならない』ということがわかっていた。
だから、絶対に天狗にはならないよね。『これでいいや』と、満足しない向上心を持っていた。
現役の最後までヨーロッパでやって欲しいよね。
『日本人にいい選手がいた』『内田篤人というすばらしいディフェンスがいた』と言われるくらいになって欲しい」
「なんか、良いことばかり言っちゃったな」と、少しばつの悪そうな椎本だったが、その目尻は終始下がったままだった。
本誌では、この他にも3名の方より内田選手の鹿島時代についての話を聞いています。こちらの掲載に承諾していただいた田中滋氏に感謝。そして、 よろしければ、『フットボールサミット第10回』をご一読下さい。