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編集日記 12年前

なぜ内田篤人は高卒1年目で鹿島のスタメンを勝ち取れたのか?

text by 田中滋 photo by Kenzaburo Matsuoka


内田篤人【写真:松岡健三郎】

鹿島のサイドバックに求められるもの

 鹿島のサッカーは、Jリーグが開幕してからずっとブラジル流を貫いている。
 
 主な布陣は[4-4-2]のボックス型。

 この布陣は、2列目のMFが流動的にポジションを変えながら内に絞るため、サイドからも分厚い攻撃を仕掛けるにはサイドバックの攻撃参加が不可欠となる。

 鹿島のサイドバックを務めるためには、まず第一に攻撃力が重視されるのだ。

 その選手像に、内田はピタリと合致していた。

 しかし、アルビレックス新潟など、いくつかのクラブも興味を示していた。

 ここから獲得競争を勝ち抜いていかなければならないのだが、椎本のやり方はいつも正攻法だ。

 クラブのありのままを見てもらい、選手自身に判断を託すのである。

「篤人だけじゃなく、声をかけた選手みんなに言うんだけど、プロの世界は厳しい世界だよ、とちゃんと伝える。良いことばかり言っても仕方がない。ただ、声をかけたということは、いま鹿島にいる選手とポジション争いができると思うから。体作りもしないといけないし、2、3年は我慢することになるかもしれないけれど、下から上がっていって欲しい。あとは自分でしっかり考えて決めてくれ、と話すようにしてる」

 内田のときも、勧誘のために特別なにかをしたわけではなかった。

 高校3年生の夏休みに、トップチームの練習に呼び寄せたくらいだろうか。
 
 別段珍しいことではなかったが、もしかしたらこのスケジュールが幸いしたのかもしれない。

 そのときはリーグ戦の最中ということもあり、主力組は簡単なメニューだけで引き上げ、サブ組だけでゲーム形式の5対5をやることになった。そのサブ組の居残り練習に、累積警告で次節は出場停止となった小笠原満男も参加していたのである。

「たまたま出場停止かなんかで満男もサブ組に入ってたんだ。篤人は満男のことが怖かったって?(笑)」

 椎本も、その日のことをよく覚えていた。
 
 内田にとって、06年のW杯に2大会連続で出場することになる日本代表MFとの初めての出会いは、強烈な印象を残す。

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