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内田篤人の流儀―内田篤人が海外のクラブで成功を収めた理由(後編)【フットボールサミット第9回】

text by 編集部 photo by Ryota Harada

言葉のハンデを逆手に取る

 まず、最初の時点で内田は、自らの出したパスのコースやスピードがその時点で最高のものだという自信があった。それでも、味方のイメージとはギャップがあった。言葉が上手く話せないので自分の判断が正しいと主張することは難しい。となれば、同じようにパスを繰り返して出すことで、味方に、「内田のパスに合わせるしかないな」と思わせようとしたのだ。

 必要なら周りに合わせることも厭わない内田だが、自らが正しいと信じられることは貫いてみせる。つまりは判断。チームにとって何が最適なのかを常に考えているということだ。

 このようなシチュエーションについて、内田自身は「言葉がわからないことを利用する」シーンだと表現する。

 海外へ来て失敗する選手の中にはこのような言葉が通じない状況にもどかしさを覚え、中途半端に周囲のやり方に迎合し、「海外の選手たちの自己主張が強くて……」とボヤく者も少なくない。だからこそ、そうした状況を利用してしまう、内田のある種のふてぶてしさと大胆さは大きな武器となっているのだ。

 もちろん、内田にも苦しんだ経験がある。例えば、昨年の9月に新しく就任したステーフェンス監督との相性の問題がある。ステーフェンス監督が就任して早々の練習で内田は肉離れを起こしてしまい、およそ1ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。

 復帰してからは試合に起用されることもあったが、紅白戦の最中に自らのファウルで倒した選手に手を差し伸べる姿勢が、監督からは「優しすぎる」選手だと見なされてしまう。これは代表のチームメートも話していることなのだが、内田は気持ちを前面に出してプレーするタイプの選手ではない。実は闘志を内に秘めている。

 ただ、これではなかなか監督には伝わりづらい。十分なコミュニケーションがとれないからだ。そこで自らのスタイルを変えて、あえて気持ちを前面に出してプレーするという選択肢も、あるにはあった。しかしながら、内田はここでプレースタイルを変えることはしなかった。

 というのも、仮に自らのプレースタイルを監督に合わせて無理に変えたとしても、いつかはボロが出てしまう可能性があり、そうなると結局「戦えない選手」というレッテルを貼られてしまう。それでは、さらに悪いイメージを抱かれることになってしまう。そう考えた内田は、淡々と、自分にやれることをやろうと考えるようになった。

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