自分が稼ぐことがわかっていた
中田と財前はこうした交流を続け、ついに財前が「今は(中田は)パッサーみたいになってますけど、もともとは2列目から飛び出してくるストライカーだった。自分は出し手として、仲良くしてたので目が合っただけで何がしたいかわかるというのがあって、いっしょにやってて楽しかったですね」と述べるほどになる。
そんな財前も、あるとき中田に電話して「おまえ今何してんの?」と聞いたら「簿記の勉強をしている」と答えられたのには驚いたらしい。そんなサッカー仲間は1人もいなかったからだ。これも、今振りかえれば笑い話になる。
「自分が稼ぐことがわかってたんだなって(笑)。しっかりしてましたよね。チームもベルマーレを選ぶとか。そういう意味ですべての人生計画っていうのができてるんじゃないですかね。同い年ですけど尊敬しますよ」
これらU-17時代の同級生の印象をまとめると、「頭が良くてしっかりしている」「サッカーに対して真面目で、向上心が強い」「人とはあまりつるまない」「個性的なファッションをしている」「人とはやることが違う」。それを一言でまとめると「変わり者」になるらしい。
日本では問題児となる強い「父性」を帯びた生き方
次原悦子は、同じことを「偏屈者」と表現している。
C・G・ユングは主著『タイプ論』の中で、人間をその機能に応じて思考型、直観型、感情型、感覚型に分けたが、中田の行動は典型的な思考型の傾向を持つ。このタイプの人間は論理的な思考が得意で、どのように入り組んでいても論理的な筋さえ通っていればそれをぴったりと追うことができる。一方で論理的に筋の通らないことは受け入れがたく感じる側面がある。また、対立する能力である感情の機能が弱点となり、しばしば自分の感情をコントロールすることが難しくなる。
中田の所属事務所であるサニーサイドアップ代表の次原は、こうした中田の心理傾向を彼女の言葉で次のように述べる。
「弁は立つ。頭がいい。でも誤解もされやすいし、彼の良さは理解されづらいだろう。そんな印象だった中田をノーガードで野放しにしていては、メディアによって単なる偏屈者にされてしまうだけだ。であるならば、中田自身を変えていくことよりも、彼の持つ個性や、発言のトーン、インテリジェンスの高さがポジティブに映るようなイメージ戦略をとればよいのだ、と私たちは判断した」(『NAKATAビジネス』次原悦子著 講談社)
日本が圧倒的な母性社会であることは多くの論者によって指摘されている。この社会では論理的な正しさよりも、仲間の輪に入ることと、そこで同じ価値観、同じ感情を共有することが優先される。仲間の輪に入ろうとせず、自分の論理的な正当性だけを主張するものは「変わり者」「偏屈者」として排除されてしまうのである。
現実に中田は、このような危機に常にさらされていた。