かつて、フランス代表も同じ問題を抱えていた
かつて、フランス代表ではジネディーヌ・ジダンがまさに代えの効かない存在だった。
98年W杯のとき、当時のエメ・ジャケ監督は「ジダンの代役はいない」と明言していた。実際、きれいに1人ずつバックアップを選出したW杯メンバーの中で、ジダンのポジションだけ誰も選ばなかった。「もし、ジダンを使えなかったら、どうするのですか?」
この質問に対して、ジャケ監督はW杯前にこう答えていた。「そのときは、違う戦い方になる」
しかし、実際にジダンが2試合欠場したとき、フランスの戦い方は何も変わっていなかった。ジダンのポジションにはユリ・ジョルカエフが入っていた。ジョルカエフがジダンの代役になり得ないことは、すでにすっかり結論が出ていたのだが、ジャケ監督はジダンの穴埋めにあえて“劣化ジダン”を起用したのである。
ジャケの後任となったロジェ・ルメール監督も同じだった。すでにジャケ監督のころからそうだったが、ルメール監督は親善試合でジダンをフル出場させなかった。必ずジダン不在の時間を作り、もしものときに備えていたのだ。そして、02年W杯でジダンが負傷欠場すると、ルメール監督はまたしてもジョルカエフを代役に使った。だが、98年とは違ってフランスはグループリーグで敗退してしまった。ジャケにあった運が、ルメールにはなかった。
遠藤の存在がメンバー選考に影響を与えるのは明らか
ジャケもルメールも、やったことは同じだ。ただ準備期間にジダン不在の、“違う戦い方”を模索したが、最終的にはジダンはおらず、そのぶん弱体化しただけのチームで臨んでいた。“違う戦い方”を構築できなかったのだ。
ジダンや遠藤のような選手は、チームへの影響力が強い。プレーメーカーである彼らを経由して攻撃が組み立てられる以上、彼らのリズムや指向性は、当然チーム全体に及ぶ。どのようなパスが良くて、どういうプレーがダメなのか、自然と中心選手によってジャッジされる。その点で、こうした選手はピッチ上の監督なのだ。
例えば、深い位置から攻撃のタクトをふる遠藤を生かすには、パスワークの能力が高いセンターバックが必要になる。いくら守備力が高くても、遠藤と組んでビルドアップができないようでは起用しにくい。また、相方のボランチには遠藤タイプではなく、ダイナミックに動いて攻守に遠藤をサポートできる選手が望ましい。
メンバーを決めるのは遠藤ではなく監督だが、遠藤の存在がメンバー選考にも影響を与えるのは明らかである。つまり〝遠藤仕様〟のチームになっていかざるをえない。“違う戦い方”をするとは、違う仕様の、違うチームに作り替えることにほかならないわけで、代表チームには現実的にそんな時間はない。
ザッケローニ監督の選択肢も遠藤か、遠藤より見劣りする代役か、それしか残されていないのではないか。