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日本代表 12年前

「売国奴」と呼ばれて――。(前編)【サッカー批評 isuue59】

text by 元川悦子 photo by Kenzaburo Matsuoka

洪明甫と選手からの絶大な信頼

――洪明甫監督は選手たちに常日頃からどのようなことを言っていたのですか?

「『フェアプレーで戦ってこそ意味があるし、真の勝利者になれる』と選手たちに強調していました。僕が知っていた韓国は『結果が全て』の傾向が強かったし、『何が何でも勝て』『相手の足を折ってもいいから勝て』みたいな感じ。実際、僕が大学選抜だった時なんか、相手が思い切りスパイクの裏で削ってきて、足の肉もパックリ切れたことがあった。でも明甫さんの教えはそうじゃなかったですね。だからといって、負けることは絶対に許さない。水原カップやロンドン五輪の日韓戦でも『日本のチームをリスペクトしろ。ただし、絶対に負けるな。強い姿を見せることがレベルアップの象徴だ』と語りかけていました。その姿勢には驚きましたし、尊敬の念を抱けました」

――ただ、ロンドン五輪の3位決定戦の蹴り込みサッカーは「何が何でも勝て」という気持ちの裏づけのようにも感じられました。

「韓国は『縦パス1本でゴールできれば一番いい』という考え方が最良という傾向があります。そこは土台として変わっていない。今はスキルも高いし、選手たちはつなごうと思えばつなげる。現に予選のメキシコ戦と日本戦で採ったスタイルは全く違います。明甫さんはコンディションやピッチ状態、相手の特徴を考えて、その都度、判断していました。日本戦は蹴り込んだ方が有利であると、彼は長年の経験則で分かっていたのでしょう。肝も据わっていて、五輪を通じてパニックになるようなことは一切なかったですね」

――竹島問題もクローズアップされていて、池田さんは試合への入りにくさはなかったですか?

「僕は竹島問題を全然気にしていなかった。韓国には欧州組、Jリーグ組、Kリーグ組がいて、大会期間中に試合に出ている選手、出ていない選手もいる。五輪では、いかに全員の体力的バラつきをなくすかが最重要なテーマ。それぞれの状態を踏まえて練習メニューを工夫しました。それに大会期間中も2週間で6試合も戦う超過密日程。必ず試合翌日にはバスで4、5時間の移動を余儀なくされることも頻繁にあって、選手たちも疲れてバスの床に寝ていたほどです。尋常じゃない状況だったからこそ、僕はいい回復をさせることだけに徹しました」

――オーバーエイジで呼んだ朴主永(セルタ・デ・ヴィーゴ)なんかは、大会に入ってからも調子が上がらず苦しんでいましたね。

「彼は昨季、所属していたアーセナルで出場機会に恵まれず、シーズンオフもあって、コンディションが非常に悪かった。最初は遊びのゲームもできないくらいでした。そこから戦える状態にするため、五輪代表の合宿前の6月、早稲田の同期の城福浩監督に頼んで、ヴァンフォーレ甲府で3週間受け入れてもらいました。ゆっくり走るところからスタートして、決勝まで6試合をこなせるフィジカルに上げていこうと試みたんです。試合勘だけは戻らず、本来のパフォーマンスとは程遠い感じでした。それでも試合をいくつかこなしたことで最後の日本戦には何とか間に合い、決勝点を挙げてくれた。僕自身、ホッとしましたね」

【後編に続く】

初出:サッカー批評 issue59

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