韓国のベンチではじめて日本の国歌斉唱を聞きながら『どうするべきか』と迷う
――その後、洪明甫さん率いるU-19韓国代表でも指導していますよね。
「2009年U-20W杯(エジプト)に挑むチームに何度か呼ばれたんです。09年8月の水原カップも帯同して、最終戦で岡田武史さん(現杭州緑城監督)が監督を務めるU-20日本代表と当たりました。これが韓国代表スタッフとして初めての日韓戦でした」
――初めての日韓戦はどのような心境だったんですか?
「韓国のベンチではじめて日本の国歌斉唱を聞きながら『どうするべきか』と迷いました。韓国国歌が流れると、韓国のスタッフや選手は右手を左胸に当てるでしょう。自分はその時、悩んだまま何もしないうちに終わったんです。明甫さんや選手は気を遣っていたのか、何も言いませんでしたけどね。ただ、後で試合のビデオを見返した時、僕だけ一体感がないことに違和感を覚えました。自分は日本人だから韓国人になる必要はないけれど、チームの勝利のためにベンチが乱れていたら勝てるわけがない、と。それに彼らのサッカーに対する真摯な姿勢は『人生賭けているな』と思えるものでした。それで僕はみんなと同じように国歌を聴くと決断した。徐々に手を当てるようになったんです」
――そして、2011年からフル契約で韓国五輪代表のフィジカルコーチになりました。
「大韓協会では『宿敵である日本人スタッフと契約するのは前例がない』と批判もあったようですが、動じずに何度も日本に足を運んでオファーをくれた明甫さんに心を動かされました。彼の想いに応えようと決心したんです。僕らの子供の頃、日本では韓国への差別意識がまだ根強い時代でした。それでも僕の父親は『人を国籍や血で差別するな。人間として手と手を取り合っていけ』と言っていた。これが脳裏に焼き付いていましたし、早稲田大在学中にも高麗大学との交流が頻繁にあったので韓国で仕事をすることへの戸惑いはありませんでした」
――韓国五輪代表ではどのようなフィジカルコンディション作りを試みたのですか?
「毎回の練習、試合ごとにあるアップの20分間を大切にしました。釜山の時のように判断の伴うメニューがメインでしたね。いざプレーしようと思っても、判断に慣れていないと身体が硬直する。猫背の姿勢ひとつで視野も狭くなりますし、プレー中の情報の取り方も違ってきます。五輪代表はこうしたことの徹底でした。日常生活に対するアドバイスをすることもありました。消化器官の弱い選手に『朝起きてから、軽いランニングを20分ほどして朝食を摂ると違ってくる』と伝えたら、その選手はキャンプの間、毎日欠かさず走り続けていた。雨が降る中でも懸命に走る姿には心を打たれましたね。明甫さんも自分に一切を任せてくれましたし、本当にやりがいを感じました」