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代表 12年前

アンドレア・ピルロが語るEUROの激闘と涙の理由(前編)【欧州サッカー批評 6】

text by 宮崎隆司 photo by Kazuhito Yamada

一貫性が仇になった、決勝のスペイン戦

──確かに準決勝まではその哲学が功を奏したとはいえ、あれだけの実力差があったスペインとの決勝ではむしろその一貫性が仇になったとも言われている。

「あの決勝に関してはイタリア本来の戦い方で望むべきだった、と。もちろんそうした声があるのは知っている。すべては否定しないよ。でもね、僕は一貫性こそが将来に何かまた新しい収穫を生むと信じるし、たとえ負けたとしても、僕だけじゃなく選手全員があの監督の決断を全面的に支持しているんだよ。普遍の哲学の大切さを他ならぬスペインが最高の形で証明しているしね」

──確かに、イングランド、ドイツの2試合で、イタリアはプランデッリのサッカーで素晴らしい結果を残してみせた。

「基本というか、それこそ“ドグマ”と言ってもいいのかな、監督が常に言うのは、とにかく『プレーすることを忘れるな』。つまり、要は『ボールを闇雲に蹴り出すような真似は絶対にするな』『自分たちが主導権を握るために、常にボールを繋いで行け』、そして繋いで行く中で『2列目、3列目が機を逃さず前に進入しては分厚い攻撃を連続して仕掛けて行け』となる。これを多くの人たちが“スペインのコピー”と揶揄していたけどね。もちろんポゼッションの重視の概念は同じとしても、実際は決定的に違う部分があるよ」

味方のサポートがなければピルロを止めるのは簡単だ

──とは?

「端的に言えば、縦に入れるタイミングの違い、かな。一例を挙げると、準決勝の対ドイツ、確か60分過ぎの一連の流れだったと思うけど。あれこそが『プランデッリのスタイル』だよ。もちろん、何度も何度も繰り返し練習した形。クラウディオ(・マルキージオ)のシュートに至るまでのプロセスには、『イタリアサッカーのエッセンス』が凝縮されていると僕は思う。そして、あえて付け加えておけば、このサッカーに僕は大いなる可能性を見出しているんだ。

『常に自分たちの側から仕掛けて行く。受動的ではなく、能動的なサッカー。これが来る将来の絶対的な潮流になる』と、プランデッリは言ったんだけど、僕もまったく同じように思う。これから2年、新しい選手たちを加えていきながら、イタリアはもっと質を上げていけると信じている。もちろん、その過程で今以上の貢献ができるという自信が僕にはある」

──準々決勝のイングランド戦、ピルロのボールタッチ数は177。パスの総数は104本。内、失敗は僅かに6。すべての対戦相手が“ピルロ包囲網”を作ってくる中で、やはりこの数字は驚異的と言う以外にない。

「包囲網“ガッビア(=gabbia=檻)”はね、実のところぼくからすれば願ったり叶ったりでね。一人でもいいし、まぁ多くの場合は二人が僕のマークに付くんだけど、それって僕以外の味方二人をフリーにできるってことだから大歓迎なわけ。確かに僕はできる限り多くボールに触れたいと思うし、そうすることでリズムを掴んで行くタイプだし、常に“動かしながら”ボールを扱ってね、わずかなズレを敵の守備網に生じさせるとそこに射るようなイメージでパスを入れるんだよ。でも、そこには味方のオフザボールでの動きが絶対に欠かせない。つまり、味方のサポートがなければ、“ピルロを止める”ことは実に簡単になってしまうんだよ。大切なのは、ピルロの出来が良いか悪いかではなくて、どれだけチームが質の高いプレーを見せることができるか」

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