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欧州で成功する選手、失敗する選手【サッカー批評 issue52】

text by 木崎伸也 photo by Kenzaburo Matsuoka

自分を捨てることができるか

 ハンブルガーSV時代の高原直泰がそうだった。ショートパスをつなぐジュビロ磐田で築き上げた自分のやり方と、ドイツ式のポストプレーを重視するやり方のギャップをなかなか埋められず、レギュラーに定着した時期はあったものの、最後の1年間はベンチに座る時間が長くなった。フランクフルトに移籍したのをきっかけに、スタイルを1度リセットし、点取り屋としての動きにこだわったことで年間リーグ11得点という好成績をあげられた。

 本田圭佑のフェンロでの最初の半年間もそうだった。パスをしても自分にボールが返ってこず、チームメイトはドリブルばかり仕掛ける。まわりがサッカーをわかっていないという不満ばかり募り、フェンロは2部に降格。のちに本田は「まさか自分のサッカー人生において、2部でプレーすることになるとは。本当にショックだった」と語っている。だが、この経験がプレースタイルを見直すきっかけになり、オランダ人に負けないくらいゴールにこだわる選手へと変貌して2部のMVPに輝いた。

 椋鳥主義--。

 要は自分を捨てられるかということだ。

試合に出られないこと=失敗ではない

 ほぼ出番がないケルンの槙野智章や、若手にレギュラーを奪われたシャルケの内田篤人は、このあたりが鍵になるだろう。自分が今できていることと、できていないことを整理し、プレースタイルを見直す必要がある。

 ただし、こういうヨーロッパ移籍における「成功」と「失敗」を判定するときに、どこに注目するかというのは、もっと注意深く考えなければいけないだろう。試合に出られなかったことが、それが失敗と言いきれない部分があるからだ。

 その絶好の例が、現京都GMの祖母井秀隆だ。読売クラブを辞めて渡独し、飛び込みでテストを受けて4部のクラブなどでプレーした。ケルンのアマチュアチームのBチーム(つまりトップから数えて3軍)に所属していたこともあった。選手としては、ヨーロッパで成功したとは言えない。しかし、その後、チーム強化の部門で頭角を現し、名将オシムをジェフ千葉に招聘。フランス2部のグルノーブルのGMに就任すると、わずか1年半で1部に昇格させた。

 今、ヨーロッパで試合に出られていない選手も、語学を習得し、人脈を築けば、引退後に驚くような仕事をするかもしれない。また、小笠原満男がイタリアのメッシーナから鹿島アントラーズに戻ったあとにJリーグ3連覇に貢献したように、帰国後にヨーロッパでの苦労が報われることもある。

 成功と失敗を短絡的に判断するのではなく、いろんな角度から選手のキャリアを見る視点が、これからの日本サッカーには求められる。

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