プロ入り後3年目に当時JFLの松本へ
――じっくり力をつけてきた晩熟型プレーヤーにスポットを当てるシリーズ第2回です。いまや松本山雅FCの看板選手のひとりとなった飯田選手ですが、ここに至るターニングポイントはどこにあったのだろうかと。手がかりがありそうなのは、最初の移籍ですね。2010年の途中、東京ヴェルディから松本へ。まず、そこからいきましょう。
「その話からにしますか」
――そもそも私は移籍の経緯をきちんと把握していないんです。シーズン途中の移籍だったというのも、昨日資料を調べて思い出したくらいで。夏頃でしたかね?
「そうですね。夏でした」
――当時、東京ヴェルディの監督は川勝良一さん。2010シーズン、流経大から加入してプロ3年目の飯田選手は1試合も起用されず、JFLの松本に新天地を求めます。
「移籍という手段自体は、その前から考えていたことではありました。大卒でヴェルディに入り、プロを甘く見ていたつもりはありませんが、もっと試合に絡めるだろう、絡まなければいけないという思いがありました。
1年目、同じポジションにはバウルさん(土屋征夫/ヴァンフォーレ甲府)、那須大亮さん(浦和レッズ)、ハギさん(萩村滋則/東京ヴェルディジュニアユース監督)がいて、自分は3番手か4番手の評価。監督のテツさん(柱谷哲二)は僕のことを気にかけてくれ、成長していけるのではないかという手応えはあったんですね」
――2008シーズンのルーキーイヤーは、リーグとカップ戦で2試合ずつ出場しています。チームはJ2に降格しました。
「はい。それで2年目、高木琢也さん(V・ファーレン長崎監督)が監督になり、チャンスをもらったこともあったんですが、消化不良というか納得できないところもあり、自分の成長のためにはレンタルで一度外に出たほうがいいのではないか、という気持ちに」