監督経験がない状況でセレソンの監督に抜擢
2006年、監督経験も無かったドゥンガがセレソン監督に抜擢されたのは、選手時代の闘志を全面にむき出しにして戦う姿勢と、周りを統率するリデランサ、そしてドゥンガの持つ「セレソン愛」こそが、2006年大会敗退後のセレソンの立て直しに必要とされたからに他ならない。つまり監督としての采配よりも、総合的マネージメント力が評価されたからだ。
2009年に、監督を引き受けた経緯について詳しくドゥンガに尋ねたことがあった。
「CBFの会長(当時はリカルド・テイシェイラ)から電話がかかってきて、『変革と若返りが必要だから代表監督になって欲しい』と言われた。代表に対する国民の関心は高く、その責任の重さも分かっている。
だが、それ以上にセレソンの監督を務めることは私にとって大きな喜びだった。監督経験のないことを心配する声もあったけれど、多くのクラブ監督経験を積みながらも結果を出せなかった代表監督はこれまでたくさんいる。何より私はA代表として15年、U-18時代から数えれば20年間、代表選手としての経験がある。
だからブラジル代表がどのような存在であるのかよく分かっていたし、誰よりもセレソンのユニフォームの重みを知っているという自負があった。就任当初、私が1ヶ月から2ヶ月で辞めるだろうと言っていたものもいた。しかしすでに3年経った。それこそ私が結果を出してきたことを意味しているのではないか」
たしかに結果を出していくことで、ドゥンガは監督を続けることができたが、それでもドゥンガのフットボールには常に批判がつきものだった。2010年大会へ向けての南米予選においても、結果重視が時には守備的と捉えられることもあった。しかしドゥンガは常に「結果がすべて。数字によって評価されるべきだ」と強気を崩さなかった。