等々力に憧れを抱いていた怪物ストライカー
怪物と呼ばれ続けたストライカーと川崎フロンターレは、実は前世紀から運命の糸で結ばれていたのかもしれない。
1988年5月7日に神奈川県横浜市で産声をあげた森本貴幸は、すぐに川崎市宮前区へ引っ越す。7歳のときに地元の津田山FCでサッカーをはじめ、10歳になると読売サッカークラブのジュニアに加入した。
岡田武史監督に率いられた日本代表が、日本サッカー界の悲願でもあったワールドカップ初出場を果たした年。期待と興奮が渦巻く当時のフィーバーは、サッカー少年だった森本に将来の夢を描かせる。
いつかはプロになって、等々力陸上競技場で活躍する――。スーパースターのカズ(三浦知良)が眩い輝きを放っていたヴェルディ川崎のホームスタジアムは、森本にとっての聖地となった。
そして21世紀を迎え、トップチームの名称が東京ヴェルディに、ホームが味の素スタジアムに変わったなかで、ジュニアユースで頭角を現していた森本にとって気になるクラブが現れる。
富士通サッカー部を前身としたフロンターレは、等々力陸上競技場をホームとして2000年シーズンに初めてJ1へ昇格。残念ながら1年でJ2へ降格したが、再び力をつけて2005年シーズンに復帰を果たす。
中学校を卒業する直前にヴェルディの一員として公式戦のピッチに立ち、高校生になった直後には15歳11ヶ月28日のJリーグの最年少得点記録を樹立。将来を嘱望された森本の記憶に、憧れのスタジアムで成長を遂げているフロンターレはしっかりと刻まれていた。
「フロンターレのサッカーにすごく興味があったし、実際に試合もよく見ていた。ボールを回しながら攻める攻撃的なスタイルが独特で、めちゃくちゃ面白かったので」
2006年夏にセリエAのカターニアへ移籍。同じセリエAのノヴァーラ、アラブ首長国連邦(UAE)の強豪アル・ナスルに活躍の場を求めた日々でも、フロンターレに抱く憧憬の念が色褪せることはなかった。