どんなときもチーム最優先の行動を取れる「天性のキャプテン」
2015年アジアカップ準々決勝・UAE戦(シドニー)。開始早々に失点し、そこからシュート35本を放ちながら柴崎岳(鹿島)の1点しか奪えず、延長・PK戦へと持ち込まれてしまった日本。そのPK戦で1番手の本田圭佑(ACミラン)、6番手・香川真司(ドルトムント)の両エースがまさかの失敗。アジア連覇の夢ははかなく消えた。
最後にミスした香川が呆然と立ち尽くし、号泣するところに、キャプテン・長谷部はすぐさま駆け寄り、肩を抱いて励ました。
「何回もチャンスがあったのに、そこで決めきれなかったのが、こういう結果につながった」と彼は香川らに敗因を押しつけるのではなく、あくまで全員の問題だと強調した。自分自身も悔しかったに違いないが、そういう感情を押し殺して、どんなときもチーム最優先の行動を取る。そういう立ち振る舞いができるからこそ、長谷部はアルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ両代表監督から「天性のキャプテン」と称されたのだろう。
彼が日本代表で初めてキャプテンマークを巻いたのは、2010年南アフリカワールドカップを直後に控えたイングランド戦(グラーツ)だった。直前の韓国との壮行試合(埼玉)で惨敗してチームが揺れ動く中、岡田武史監督は「流れを変えたい」と長谷部を抜擢したのだ。
しかし当時のチームには川口能活(FC岐阜)、中澤佑二(横浜FM)らベテランがいた。川口は「チームをまとめてほしい」と指揮官から直々に請われて代表復帰し、中澤もアジア予選からずっと主将を務めていた。そういう経緯があるから、長谷部も複雑な立場に戸惑ったことだろう。それでも懸命に大役を果たしてベスト16進出に貢献した。
が、本人は「僕はキャプテンらしいことを何もしていなくて、能活さん、ナラ(楢崎正剛=名古屋)さん、佑二さんがチームを引っ張ってくれた。プレッシャーも何もなくやれました。僕は今でも佑二さんがキャプテンだと思っているし、一時的に預かっているだけという気持ちです」と謙虚な物言いを崩さなかった。こうしたバランス感覚や調整力は、チームの中堅選手だった南アの頃から光るものがあった。