体制への反抗? ドクロを掲げるザンクトパウリ
世界一罪深い1マイル――。ハンブルクにあるザンクトパウリ地区の一角、レーパーバーンの別称だ。そのドイツ最大級の歓楽街とも呼ばれるレーパーバーンを傍に、宮市亮が加入したFCザンクトパウリは、ホームのミラントア・シュタディオンを構えている。
ドイツで最も大きな歓楽街と聞いて訪れてみると、新宿の歌舞伎町を知る日本人であれば誰もが拍子抜けするだろう。世界一罪深かった時代は、過去のものとなった。もちろん歓楽街ではあるのだが、アムステルダムの飾り窓地区のように、現在は観光地化している。
ビートルズが下積みを重ねた60年代初頭に漂っていた退廃の空気が、残されていないこともない。しかし同時に、生活が洗練されていく時の流れも影響を及ぼしている。イカついドイツ人に紛れて、老若男女も道を行く。そもそも1マイルは、およそ1.6キロしかない。
航空機が欧州各地を毎日のように飛び交う時代に、1マイルが規模として存在感を放つことが出来るだろうか。決して安全とも言い切れないが、レーパーバーンもまた観光地として規格化の流れには逆らえないようだ。
しかしそんな時代の流れに抗うかのように、FCザンクトパウリはパンクかつポップなアイデンティティを獲得していった。クラブの創設は1910年にまで遡るが、現在のドクロというシンボルは比較的新しいものだ。
今ではすっかりFCザンクトパウリのシンボルとなったドクロだが、80年代の中頃にマブゼというパンク歌手がドクロの旗をスタジアムに持ちこんだことがきっかけとされている。
当時、ドクロは空き家不法占拠者のシンボルとしても知られ、またマブゼは15世紀初頭にハンブルクで処刑された海賊クラウス・シュテルテベガーを偲んでのことだったという。つまりマブゼのドクロには、体制への反抗というパンキッシュな意味合いがあったと言えるだろう。