苦渋の決断だった帰国
FCバルセロナの育成カテゴリーでプレーしていた久保建英くんが、バルサでは公式戦に出場することができないため日本に帰国したことは、サッカーファンの方々の耳に届いていることだろう。
ご家族も悩まれたことだろうが、この大事な時期に毎週練習するだけで、試合に出場できない生活が――それがたとえバルサのようなビッグクラブであれ――本人にとってベストなはずがない。
他のヨーロッパのクラブに移籍したところで、EU枠に入らない外国人選手である状態が変わるわけではない。バルサで起きたことと同じ結果が繰り返される可能性もある。日本への帰国が苦渋の決断だったことは、想像に難くない。
久保くんがバルサを離脱するとの第一報が流れた時、携帯が鳴った。「帰国便、わかったりしないですかね?」。私は、スペインまで電話をかけてくる日本のテレビ局に対応しながら、今後の久保くんの将来が垣間見えるようで、重い気分になるのを避けられなかった。
もう数年前のことになるが、久保くんが最初にバルセロナにやってきた時のこと。久保くんがプレーしているチームの試合を撮影したいという依頼があり、クラブ側にそれを伝える役を請け負ったことがあった。
当時、育成を担当していたそのクラブ関係者とは10年来の付き合いだったが、「君がそういうことをしないのはわかっているんだけどさ……」と切り出し、少し前に日本から来た別のメディアが撮影条件のルールを守らなかったために、久保くんを率いるコーチスタッフが非常に立腹していることを聞かされた。