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ザックの後任と噂のアギーレ氏の人物像とは? “最悪監督”の悪評、TV局との黒い噂も

ザッケローニ監督の後任として名前が挙がったハビエル・アギーレ監督。メキシコ、スペインを拠点に積んできた実績はどんなものなのか? 日本代表に適任の人材なのか? そのキャリアを見てみる。

text by 海老沢純一 photo by Getty Images

ザック監督の後任候補、ハビエル・アギーレとは?

ザックの後任と噂のアギーレ氏の人物像とは? “最悪監督”の悪評、TV局との黒い噂も
ハビエル・アギーレ氏とはどんな人物なのだろうか?【写真:Getty Images】

 日本代表アルベルト・ザッケローニ監督の後任として、現エスパニョールの監督でメキシコ人のハビエル・アギーレ氏が就任する可能性があることをスペインメディアが報じていた。

 この報道自体はまだまだ“飛ばし”の域を出ないが、ブラジルW杯後の監督人事はサッカーファンとしては気になるところ。では、ハビエル・アギーレ氏とはどんな人物なのだろうか?

 1958年12月1日生まれでメキシコシティ出身の55歳。両親がスペイン・バスク地方出身で、メキシコへの移民の子として生まれたバスク系メキシコ人。愛称は“エル・バスコ(バスク人)”。身長173センチと小柄な人物だ。

 現役時代のポジションはミッドフィールダーで、1974年に地元のクラブ・アメリカでデビュー。1980年には、歌手エルトン・ジョンがオーナーを務める北米サッカーリーグのロサンゼルス・アズティックスに移籍。30試合で4得点を決めている。(リーグ、クラブともに現在は消滅)

 翌81年には、クラブ・アメリカに復帰し83-84シーズンにはリーグ優勝に貢献し退団。メキシコのアトランテを経て、86-87シーズンにはスペインのオサスナへ移籍。骨折の影響もあって13試合0得点と結果を残せず、翌87-88シーズンからはメキシコのチバスに移籍。6シーズンで181試合17得点を記録し1993年に現役を引退した。

 代表選手としてのキャリアも豊富で、1979年のユニバーシアードではメキシコの大学生代表として出場して金メダルを獲得。1983年にはメキシコ代表としてデビューし、1986年に地元メキシコで開催されたW杯にはレギュラーとして出場。準々決勝で西ドイツを相手にPK戦の末敗退した。通算59試合出場14得点。

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