「次のステージを考えて、すぐに、『星稜に行きたい』と言ってきました」
ここに育成の難しさがある。
もし、本田がガンバ大阪ユースでプレーしていたら、高校時代の3年間も、家長の影に隠れたままになっていたかもしれない。ガンバ大阪を離れたからこそ、星稜高校で河崎護監督という良き理解者と仲間たちに出会い、自分を高めるのに相応しい環境を手に入れられたとも考えられる。
「僕も摂津の人間ですが、摂津で昔の圭佑を知る人間は誰もが『あの圭佑が、まさかここまでの選手になるとはねぇ』と驚いてますよ」と微笑む上野山は、「ここまでの選手」になれた要因として、目標を設定し、それに向けて何をすべきかを考える力と、強いメンタリティの2点を挙げた。
「ガンバにいた頃、持久力やスタミナで見劣りしたけど、サッカーがとことん好きで、相当な負けず嫌いで、夢や目標をしっかり抱いていたのも確かです。それは圭佑と会話をしたときに感じましたよね。ユースに昇格できなかったときも、次のステージを考えて、すぐに、『星稜に行きたい』と言ってきましたからね」
目標を設定し、それに向けて努力するのは、成功する選手の共通点だと上野山は言う。
「例えば、宮本はどんどん質問しに来るタイプで、稲本は反復練習を黙々とするタイプ。パーソナリティはまったく違うんやけど、目標を設定し、それに向けて努力し、反省するという点では共通している。
ミチ(安田)もある日、『俺、絶対にプロになりますわ』って言ってきた。ミチはお父さんを病気で亡くしたばかりで、『俺がお母ちゃんを楽させる』って。それから、死に物狂いでサッカーに打ち込みましたからね」
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