「世界の壁」は本当に存在するのか?
1998年からイタリアに移住し、トップリーグから育成の現場まで日々取材を行い、一方で日本代表の試合は必ずビデオを取り寄せてチェックし、日本のサッカー情報も可能な限り入手しようと心がけてきた私は、未だメディアに溢れる「世界の壁」「世界との差」という言葉を目にするたびに、そこに日本ならではの謙虚さを見る反面、同時に悔しい思いもこみ上げくる。
なぜそこまで卑屈になる必要がある? そもそも日本は「世界」の一角、いや、むしろ世界に冠たる国ではないのか?
急速に進歩したとはいえ、今日の日本サッカー界がなおもいくつかの問題を抱えているのは事実だろう。かといって、「世界の壁」が本当に存在するのかと問われれば、私はこう断言したい。
「そんなものはない」
なぜ私がここまで断言できるのかと言えば、第一に欧州の現場で確実にその“壁”なるものが低くなっていく様を目の当たりにしてきたからに他ならない。
紙幅の都合で端的に述べるが、イタリアのみならず欧州各国で日本の選手は現地の選手たちと対等に渡り合い、時には彼らを凌駕するプレーを見せている「事実」がある。そしてその成功例は着実に増えている。また、過去に欧州へ渡った選手たちも、その大半が技術的な資質で大きく劣っていたわけではない。
そして何より着目すべきはプロ以前の世界にある。まず、アンダーカテゴリーの日本代表、クラブの国際大会、交流試合での健闘は年を追う毎に顕著になっている。
いずれもイタリアでの話だが、昨年は名古屋グランパスが国際ユース(ビアレッジョ国際ユース第63回大会)で堂々の戦いを見せてベスト16に入り、同じく昨年秋には仙台の子供たちがフィオレンティーナ相手に、親善試合だったとはいえ7-0と圧勝している。もちろん、思うような結果を残せないときもあるが、もしそこに「壁」の存在を認めるなら、それは「国際経験の差」と言える場合がほとんどだろう。