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【ロングインタビュー】海を渡ったジャパニーズフットボーラー・赤星貴文「日本人として海外でプレーする意義」【第一部】

日本では浦和レッズ、水戸ホーリーホック、モンテディオ山形、ツエーゲン金沢でプレーした赤星貴文。現在はポーランド一部リーグのポゴン・シュチェチンに在籍している。彼はなぜ海を渡ったのか? そして海外でプレーする意義についてどう感じているのか? ロングインタビューを4日間にわたって掲載する(インタビュー日:4月20日、場所:ワルシャワ 全4回)。

text by 長束恭行 photo by Yasuyuki Nagatsuka

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なぜ日本を離れたのか?

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赤星貴文【写真:長束恭行】

――ポーランドに来て3年目になりますが、生活は随分と慣れましたか?

「だいぶ慣れました。ポーランド語はまだ喋れないですけど、言っていることは分かるようになっていますし、生活面であんまり不自由することはないかな、という感じですね」

――シュチェチンはドイツ国境に近く、とても綺麗な街だと聞いています。

「中心部に近いところは一つにまとまっていて、僕はその近くに住んでいるので生活はしやすいです。車でも2~3時間ぐらいでベルリンに行けますし、ワルシャワまでも飛行機で1時間なんですよ。両国の首都に行くには結構便利な場所かな、と」

――それではサッカーの話題に入ります。赤星選手は高校時代から注目され、浦和レッズに2005年に入団。5年間、Jリーグでプレーしました。順風満帆とはいきませんでしたが、当時を振り返ってどう思いますか?

「あの頃の自分自身はサッカーのスキルも含めてまだまだ実力不足だったな、というのもあるし、年齢を重ねるごとにメンタリティや気持ちの部分での重要性を感じているので、当時はまだ若かったというか。色んなことを受け入れたりするというのもまだまだ弱かったかもしれない。そういう意味では実力不足だったな、と今では思いますね」

――海外挑戦という道を選んだわけですが、そのきっかけというのは?

「試合に出たいと思って浦和レッズを離れ、水戸ホーリーホックやモンテディオ山形にレンタル移籍したのですが、いざ試合に出てもどこかで満たされないというか。要するに、周りが上手くて自分が試合に出られない時は悔しかったのに、それでも楽しかった。

 良い選手達と一緒にやって、こういうところが通じる、こういうところが通じないというのを肌で感じていた。なのに、ちょっと試合に出られるようになったら、それを練習の中とかから感じられなくなってしまった。モチベーション的に。ほんとヤル気の部分ですよね。

 気持ちの部分でちょっと刺激が欲しかった。山形から契約更新がないと告げられたのち、外国でプレーする後輩からの紹介で今の代理人と出会いました。海外挑戦する気があるのだったらやってみないか、という話をもらって」

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